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研究室レポート 森林医学

衛生学・公衆衛生学教室 研究室レポート 森林医学  

日本は世界でも有数の森林大国。実に国土の67%を森林が占め、先進国ではフィンランドに次いで2番目に森林率が高い。米国、ドイツ、スイスなどの森林率が30%であることを考えると、日本人がどれだけ豊かな森林に囲まれて生活しているのかが実感出来る。


豊かな森林環境のもと、日本で生まれた概念が「森林浴」だ。森林浴とは、森林散策をとおして森林の持つ癒し効果を人々の健康増進や疾病予防に活用させる活動を指す。森林は、緑、紅葉、花などの景色(視覚)、森林の香り(嗅覚)、鳥の鳴き声、川のせせらぎなどの音(聴覚)、自然とのふれあい(触覚)、そして山菜や郷土料理(味覚)など、人間の五感を刺激する要素にあふれている。これらがもたらす効果によって、多くの人が森林浴は健康に良いというイメージを持っているだろう。一方で、これまで森林浴の健康効果については科学的な実証がなされていなかったのが実情だ。しかし近年になり、「森林浴の健康効果を科学的に検証する研究活動、すなわち森林医学(Forest Medicine)の研究が日本やフィンランドをはじめ世界中で盛んになっています」と本学衛生学・公衆衛生学教室の李 卿(り・けいLi Qing)准教授は言う。同教室は、環境免疫学を専門とする李准教授を中心に「森林医学」という新しい学問体系を確立しその普及に努めている、世界でも有数の教室である。森林医学は「公衆衛生学(予防医学)における環境医学の一分野として注目されています」(李准教授)。

森林医学

森林医学という分野が現在注目される理由はどこにあるのだろうか? 一つには、現在一般労働者の6割近くがストレス社会の影響によって何かしらのストレスを抱えており、それに伴ううつ病患者や自殺者数の増加などが大きな社会問題となっていることがある。また、日本では過去20年間でがん患者数や生活習慣病患者数が急速に増え、その対策が急がれている。そのため、森林浴が持つとされる潜在的なストレス緩和効果や抗がん免疫効果を科学的に確かめて、その知見を蓄積出来れば、「森林浴を健康管理の一環として利用し、健康増進や疾病予防に生かすことが可能になると期待されています」(李准教授)。

実際、この8年の間に森林浴の健康効果に関するさまざまな科学的知見が本学衛生学・公衆衛生学教室を中心に発表され、また世界的にも森林医学に関する組織が数多く設立されている。2007年には、15,000人以上の科学者が参加する国際森林研究機関連合(International Union of Forest Research Organization, IUFRO)において李准教授もメンバーを務める「森林と健康」部会(Task Force of Forests and Human Health of IUFRO)が設立され、また日本でも同年に日本衛生学会の下部組織に李准教授が代表を務める「森林医学研究会」が発足した。

1982年に林野庁がはじめて提唱した「森林浴」。長野県の赤沢自然休養地を発祥地とするこの活動が、現在ではその医学的な健康効果とともに世界的に注目されはじめている。それでは、その医学的効果はどこにあるのだろうか?

森林浴の医学的効果

① がんの予防効果
「森林浴には、今のところ大きく分けて二つの医学的効果が分かっています」(李准教授)。2004年に李准教授を中心としたグループが、独立行政法人「森林総合研究所」と共にスタートさせたプロジェクトによって、これまで二つの大きな医学的成果が認められた。一つは、森林浴によって、人の血液中の免疫細胞であるNK細胞(Natural Killer cell)の活性が高まり、その結果グランザイム、パーフォリン、グラニュライシンといった抗がんタンパク質の量が、人の血液中で増加することを証明したフィールド研究の結果である *1)、*2)、*3)。また、その原因物質としては、森林浴によって全身に浴びることが出来る「フィトンチッド(phytoncide)」と呼ばれる芳香物質の可能性が考えられている。以前から、NK細胞の活性が高い人ほどがんの発症率が低くなることが分かっている*4)。また、NK細胞による抗がん免疫作用の良いところは、「T細胞やB細胞といった他の免疫細胞と違い、事前の抗原感作、すなわち予防接種などがいらない点があげられます。NK細胞は自然にがん細胞のアポトーシス(細胞死)を誘発するのです」(李准教授)。

 

図1・図2 森林浴がヒトのNK活性を上昇させる

 

そのため森林浴では、「がん抗原などを使わずに抗がん免疫機能を高めることが出来、その結果がんになりにくい体作りが可能になると考えられます」(李准教授)。

李准教授のグループが行ったフィールド研究は大掛かりなものだ。まず、東京都内の大手企業3社の男性会社員12人(35-55歳)に対して、緑豊かで歩行コースも豊富な長野県飯山市斑尾高原における2泊3日の森林浴を実施してもらった。初日は午後に2時間の歩行、2日目は午前と午後に別々のコースを2時間ずつ歩行し、全行程で3回の森林浴を実施。一方、血液検査は森林浴以前の平日に1度行い、その後森林浴後1日目、2日目にもそれぞれ実施し、血液中のNK活性を測定した。すると、驚くべきことに「被験者12人中11人で、森林浴前に比べて森林浴後でNK活性が高まっていることが分かりました」(李准教授)(図1)。また、森林浴後1日目と2日目の NK活性は、たまたま上昇した訳ではなく、統計的な有意差をもって上昇していることが確かめられたのだ(図2)。

 

図3 森林浴が有意にNK細胞数を増加 図4 森林浴が有意に抗がんタンパク質を増加

 

それでは、なぜNK活性が上昇したのだろうか? 同じ被験者による血液検査の結果から、「森林浴によって血液中のNK細胞の数自体が増加し、そこで産生される抗がんタンパク質の量も増加していることが分かりました」(李准教授)。つまり、森林浴によって血液中のNK細胞数が増加し(図3)、NK細胞内で抗がんタンパク質が多く作られた結果(図4)、抗がん作用を示すNK活性が上昇したと考えられた(図5)。

図5 NK細胞によるがん細胞障害のメカニズムまた、別の研究では、単なる都市部への一般旅行ではNK活性が上昇しないことも確認した(図6)。そのため、「同じストレス解消目的であっても、一般旅行ではなく、あくまで森林浴によって、抗がん免疫機能が高まることが確認出来ました」(李准教授)。

さて森林浴によるがんの「予防効果」を考えた場合、森林浴によって上昇する抗がん免疫機能の持続期間を確認する必要がある。免疫効果の持続期間があまりに短いと長期的な予防効果が期待出来ないからだ。そこで李准教授のグループは、森林浴の発祥の地とされる長野県赤沢自然休養林において同様のフィールド研究を行い、被験者の血液検査を森林浴後1週間と4週間後にも実施した。すると森林浴から4週間経過した時点でも、引き続き被験者のNK活性が統計的有意差をもって上昇していることが確かめられた(図7)。すなわち、「極端に言うと毎月一度の森林浴で、がんに対する予防的な体づくりが期待出来るのです」(李准教授)。また、女性においても男性同様の結果を確認している(図8)。

さらに、日帰りの森林浴を埼玉県の森林公園で実施し、2泊3日の森林浴と同様の効果があることを確認した。「遠出しないで済む身近な森林浴であっても、NK細胞活性の上昇とその持続効果が見られます」(李准教授)(図9)。

 

図6 一般旅行によるNK活性への影響

 

以上の一連の研究結果によって、森林浴には抗がん免疫機能の強化を介したがんの予防効果があることが世界で初めて証明された。しかもその効果は日帰りの森林浴でも発揮され、持続性があることも証明された。そのため「一カ月に一度の身近な日帰り森林浴であれば、何かと忙しい都会人にとっても実行出来るのではないかと思います。その意味でも森林浴は、有効ながん予防法といえるのではないでしょうか」(李准教授)。

図9 日帰り森林浴がNK活性及び細胞数を増加

② ストレス軽減効果
さて森林浴によってもたらされる二つ目の医学的効果は生体におけるストレスの軽減作用だ。人間は、ストレスが強い状態にさらされるとストレスホルモンを産生する。またストレスが強いと、「さまざまなマイナスな感情、すなわち緊張や不安、抑うつや落ち込み、怒り、疲労、混乱といった多くの感情を自覚します」。そこで李准教授のグループは、森林浴によってこれらの自覚症状が改善するかどうか、また体内のストレスホルモンが減少するかどうかについてフィールド研究を行った。

その結果、自覚症状については森林浴前後で有意に改善していることが判明した(図10)。また図10からは、森林浴ではマイナスな感情が低下するだけではなく、プラスな感情である「活気」は逆に上昇することが分かる。さらに、眠気、だるさ、身体的な違和感などの身体症状と、集中力の低下といった精神症状についても改善する効果があることが分かった(図11)。すなわち森林浴によって、ストレスに伴うマイナスな自覚症状を下げられることが科学的に証明されたのだ。

またストレス状態で作られるストレスホルモンについては、森林浴と一般旅行における尿中のストレスホルモン値を比較し、森林浴のみで尿中ストレスホルモンが有意に低下していることを確かめた(図12)。この結果は、女性であっても同様である(図13)。

 

図10 森林浴が緊張不安を低下させ、活気を高める 図11 森林浴が自覚症状を減少させる

 

図12 森林浴が有意に尿中ホルモンを減少させる 図13 森林浴がストレスホルモンを減少させる

 

以上から、森林浴には「がん予防効果」と同時に現代人の心を癒す「ストレス減少効果」もあることが科学的に証明された。一方、李准教授はこの2つの結果は連動していると考えている。

図14 ストレスの免疫反応

すなわち、「森林浴を行うことで、マイナスな自覚症状や尿中ストレスホルモンに代表されるストレス反応が減少し、それに伴いNK細胞の増殖に対する抑制反応も減少します。

その結果NK細胞が再び増殖出来るようになり、抗がんタンパク質が再度作られることによって、NK活性が回復し、がんの予防効果につながっていくだろうと考えています」(李准教授)(図14)。

以上が森林浴によってもたらされる二つの大きな医学的効果の証明である。一方、李准教授は森林浴がもたらす効果として、この二つ以外にも生活習慣病に対する影響やアンチエイジングに対する影響についても研究を実施した。これまで、森林浴は、「都市部への一般旅行に比べて有意に血圧を下げる効果や、アンチエイジングに効果的とされるアディポネクチンの血中濃度を有意に上昇させることが分かってきました」(李准教授)(図15、図16) *5)。

 

図15 森林浴による血圧への影響

 

図16 日帰り森林浴がアディポネクチンの濃度を有意に増加させる

李准教授を中心とした本学衛生学・公衆衛生学教室によるさまざまな医学的研究成果によって、昔から人々に好まれてきた森林浴が、人の健康増進や疾病予防に対して大きな可能性を秘めていることが証明された。それでは今後の森林医学はどのように発展していくのだろうか? それについて李准教授はこのように語った。「今後は医学的効果と森林の種類との関係や、温泉との相乗効果について、また最終的には予防法や治療法としての保険適応を目指したさらなる研究活動、すなわちがんやうつ病、生活習慣病に対する効果の研究活動を進めていきたいと思います。また本学で生まれた「森林医学」という学問を広めるため、今後も世界各国における普及活動に努めていきたいと思います」。

 

 

 

1) Li Q, et al. Forest bathing enhances human natural killer activity and expression of anti-cancer proteins. Int J Immunopathol Pharmacol. 2007 20:3-8
2) Li Q, et al. Visiting a forest, but not a city, increases human natural killer activity and expression of anti-cancer proteins. Int J Immunopathol Pharmacol. 2008;21(1):117-27
3) Li Q, et al. A forest bathing trip increases human natural killer activity and expression of anti-cancer proteins in female subjects. J Biol Regul Homeost Agents. 2008 Jan-Mar;22(1):45-55
4) Imai K, et al. Natural cytotoxic activity of peripheral-blood lymphocytes and cancer incidence: an 11-year follow-up study of a general population. Lancet 2000;356:1795-99
5) Li Q, et al. Acute effects of walking in forest environments on cardiovascular and metabolic parameters. Eur J Appl Physiol. 2011;111(11):2845-53


プロフィール 李卿 日本医科大学衛生学・公衆衛生学教室准教授

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